妖怪の妻になってしまった男

献上
 今井は元の体に魂を戻す事を考えていた。
 魂を扱う妖術は難しい。まだ練習不足だった。しかも、自分の魂をナキータの体から出せるのかわからない。魂を移す相手なしに魂を出せば死んでしまうから一度もやったことがなかった。しかし、やってみるしかない。うまくだせなかったら、妖怪世界に戻って研究しなおせばいいだけだ。しくじって死ぬかもしれないが、いつまでも怖がってはいられない。
 しかし、これではゾージャにきちんと別れを告げられない。いつ、うまくいくか分からないのでゾージャには何も話せないからだ。ナキータが急にいなくなるとゾージャは心配するだろなと思うと心が痛んだ。

 ゾージャがゴルガの所から帰ってきた。呼び出されて行っていたのだ。
 正装なので普段着に着替えなければならない。
 ミリーが着替えをナキータに渡すので、しかたなく着替えを手伝った。
 今では着物の着方を覚えたので着替えを手伝うことができる。今井のナキータはだんだんいい奥さんになっていく。
 ゾージャは渋い顔をしている。ゴルガの所で何かあったらしい。
 夕食の時もゾージャは一言も喋らない。ほとんど何もたべずに考えている。今井は尋ねてみたがゾー ジャは返事を濁す。よほど困ったことがあったみたいだ。
 やがて、彼は意を決したようにナキータを見た。そして、重い口を開いた。
「お前を・・・差し出せと言われた」
 一瞬、意味がわからなかった。
「ゴルガに君を献上しなければならない」
 まさか、そんなバカな。
「私を、品物みたいに差し出すってこと?」
 ゾージャは力なく肩を落とした。
 妖怪世界はそこまでひどいのか。
「そんな事って、普通にあることなの?」
 彼は下を向いている。
「いやよ。絶対にいや」
 これだけは受け入れられない。品物みたいにゴルガに渡されるなんて冗談じゃない。
「ゾージャ。いやよ。あたし絶対にいや」
 彼は哀れな顔をしている。
「ゾージャはどうするつもり?」
 何も言わない。
「どうするつもり。私を渡すつもり?」
 しばらく返事を待ったが、ゾージャは虚ろな目をしたままだ。
「はっきりしてよ。どうするつもり?」
「どうしようもない」
 ゾージャは小さな声でいった。
「断ったらどうなるの?」
 今井はゾージャがはっきりしないのでいらいらしてきた。
「たぶん。殺される」
 そこまで横暴なのか、無茶苦茶な社会だ。
「じゃあ、逃げたら」
「どこへ?」
 この男。確かにふがいない。私を愛しているだろう。だったら逃げようと言うべきだ。
「どこへでも。ゴルガの手の届かないところへ」
「生活はどうする」
 今井はあきれてへたりこんでしまった。たぶんゴルガに渡されてしまう。
 でも、それは好都合でもあった。元の身体に戻るつもりだから、どうせゾージャと分かれなければならない。ゴルガの所からいなくなればゾージャがナキータの行方を心配することもなくなる。
 ゾージャはテーブルに突っ伏して動かない。たぶん泣いているのだろう。
 自分の妻より生活の方が大事なのか。
 しばらくゾージャのそばにいたが。立ち上がると自分の部屋に帰ってきた。

 今井はこれからの計画を考えていた。
 絶好の機会だ。ゴルガに献上されたらすぐに魂を戻してみよう。相手がゴルガならナキータが急にいなくなっても気の毒に思う必要はない。うまく戻せなかった時はゴルガの女になって何度もやってみればいいだけだ。考えてみればゾージャだって同じことだ。ここで生きていくためにゾージャの女になっているのだ。献上はいつ頃だろう。いよいよここともお別れだ。

 ミリーが部屋に入ってきた。
「ナキータ様。お話は聞きました。本当にひどい話です。ナキータ様がお可愛そうです」
 ミリーは目に涙を浮かべている。
 彼女は本当にいい妖怪だ。心から心配してくれる。
「ゾージャ様は逃げようとは言ってくれないのですか?」
 今井は首をふった。
「自分の妻より生活の方が大事みたい」
「なんということを。ゾージャ様がそうおっしゃったんですか」
 今井はぶすっとしてうなずいた。
「ナキータ様」
 ミリーが抱きついてきた。ミリーに同情されるのは悪い気持ちはしない。
「ナキータ様がお気の毒です。逃げましょう。私お供します」
 ミリーの方がよほど気骨がある。
 しかし。今、逃げるとゾージャが居場所を知っていると疑われるだろう。彼には世話になったから、迷惑がかからないようにしなければと思った。
「逃げると、ゾージャが疑われるわ」
「そこまで、ゾージャ様のことを」
 ミリーは泣き崩れた。
「ナキータ様。では、どうされるのですか?」
「ゴルガのところへ行く」
「それはいけません。あまりにお可哀想です」
「ゴルガの女になるわけじゃない。ゴルガの所へ行ってから逃げる」
「でも、ゴルガの所からは簡単には逃げられません」
 監禁されるかもしれない。しかし、一時的に人間界まで行ければいいだけだ。
「大丈夫。逃げて見せる」
「私もお供します。私の命にかけてお逃しいたします」
 ミリーはすごい事を言う。本気なんだろうか。
「ありがとう。でも、そこまでしなくていいわ」
「いえ、私がかならずお逃しいたします」
 ミリーはまじめすぎるのだろう。しかし、このぶんだとミリーはゴルガの所へついてくる。それではミリーと別れる時にややこしいことになる。
「ミリー。ゴルガの所へは私一人でいくわ」
 ミリーは驚いている。
「なぜですか?」
「ゴルガの所よ。しかもそこから逃げるのよ。危険だわ。あなたを巻き添えにはできない」
「そんな。私のことなど気になさらないでください。逃げる時には私の助けがいるはずです」
「あなたにも生活があるわ。私と来たらどうするつもり?」
 自分は人間に戻るのだからいいが。ミリーは一人でゴルガに追われる身になってしまう。
「ナキータ様だって同じでしょう。私がお助けします」
 ミリーは自分の信念を絶対に曲げようとはしない。連れていくしかなさそうだった。
 ゾージャと少し話をしたかったが、彼は部屋にやってこない。こんな重大事を妻と話し合おうと思わないのか、今井は少し腹がたった。

 次の日。食堂に行くとゾージャが昨日のテーブルの所で眠っていた。一晩中ここにいたらしい。
「ゾージャ、こんな所で寝ていると風ひくわよ」
 ゾージャを揺り起こした。
 彼はぐしゃぐしゃの顔をしている。
「逃げよう」
 彼は突然そう言った。
 今井は驚いた。計画が狂ってしまう。しかし、彼が一晩中考えて出した結論だろう。彼の気持ちを大事にしたかった。
「ありがとう。逃げてくれるの」
 ナキータはにっこりわらった。
「西の国へ逃げよう。あそこならゴルガの力が及ばない」
 ナキータはうなずいた。
 しかし。今井は困っていた。
 すぐにナキータはいなくなるのだ。ゾージャにナキータのために人生を棒にふらせるのも可哀想だ。
「ゾージャ。ごめんね。ゾージャが築き上げた今の地位がダメになるね」
「そんなのかまわないよ」
「昨夜ね。私は私で決心したの。もし、私がゴルガの所へ行けばゾージャが今まで通りの暮らしができるなら、私はそれでいいよ」
「そんなことさせないよ」
「わたしね。ゴルガの所に行ってもかまわない」
 後ろからすすり泣く声がした。振り向くとミリーが立っていた。いつの間にか彼女が来ていたのだ。ミリーは完全に誤解したみたいだ。
「君にそんなことはさせられない。一緒に逃げよう」
 ゾージャは真剣だ。彼も覚悟を決めたらしい。自分の愛する女性を他人に差し出すなど出来ないとわかったみたいだ。
 しかし、これではゾージャの人生が台無しになる。もう、本当のことを言うしかない。ナキータはすでにいない事を説明して逃避行をやめさせなければならない。
 今井は朝食を食べながら、どう言うか考えていた。ナキータが既に死んでいることを知った時のゾージャの反応が心配だ。たぶん荒れ狂うだろう。彼と戦うことになるかもしれない。法力を使えるので負けることはないだろうがかなり面倒だ。ミリーの反応も気になる。ナキータにあれだけ忠実なのだから命がけで向かってくるだろう。
 ゾージャの事をいろいろ言ったが自分もいざとなったら、なかなか言い出せない、朝食が終わったら話そう。

 朝食が終わって居間のソファーに二人で座った。
「ゾージャ・・」と言い出しかかった時に。
「ナキータ」
 とゾージャが言い出した。
「さっきの話だけど、君はゴルガの所に行ってかまわないのか?」
 ゾージャは決心が鈍っているのだ。
 ナキータは黙ってうなずいた。
「現実的に考えて、逃げたらどうしていいか見当もつかないんだ。生きて行けないかもしれない」
「逃げたら、ゴルガからも逃げなきゃならない」
「そうだ、絶対に刺客が追ってくる」
「だから、私、決心したの。私が行けばすべてうまく収まるんだって」
「ゴルガだぞ、いいのか」
「かまわないわ」
 彼は必死でナキータを見つめている。
「すまない、本当に申し訳ない」
 彼は床に土下座して頭を下げた。
 確かにゾージャの言う通りかもしれない。このような事が現実に我が身に降りかかった時、すべてを捨てて逃げることが本当に出来るだろうか。
「ゾージャ、気にしないで、私は大丈夫よ」
「すまない、俺がふがいなくて」
 ナキータはゾージャを抱きしめた。彼の罪悪感を少しでも減らしてやりたかった。
 ゴルガへの献上は明日になるとのことだった。





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