妖怪の妻になってしまった男

妖怪の生活


 次の日の朝、目を覚ますと、今どこにいるのか思い出すのにしばらく時間がかかった。妖怪世界にいるのを思い出すとちょっとがっかりだ。
 昨夜は布団の上に横向きに眠ったはずだが、ちゃんと布団の中に寝ていて着ているものも一番上のかさばるものは脱がしてあった。
 ベットの横は窓で、窓からは綺麗な山々が見える。
 今井はベットから降りて、テラスに出てみた、冷たい風が気持ちいい。
 朝日がテラスに当たっている。ここが人工の世界だなんて信じられない。日の当たる所まで行ってみると確かにぬくもりを感じる。この太陽も作り物なんだろうか。空は高く白い雲が浮かんでいる。
 部屋に戻るとミリーが来ていた。
「おはようございます」
 ミリーはお茶の準備をしている。
「昨日、寝かしてくれたのはあなた?」
「はい、ぐっすりお休みだったので、そのままお寝かせしておいた方がいいと思って」
「ありがとう、寝るつもりはなかったんだけど」
 昨日に比べると、格段に慣れていた。考えなくても自分がナキータのつもりで話していた。
「どうぞ」
 お茶の準備が出来ていた。ここでは朝起きるとお茶を飲む習慣らしい。今井はテーブルに座った。
 こんな事を聞くと不審に思われるとは思ったが、ここの世界のことがどうしても聞いてみたかった。
「あの、太陽も結界世界で作ったものなの?」
 ミリーは不思議そうな顔をする。
「単に結界の外の世界が見えているだけです」
 あっさり説明されてしまった。
 洗面所で顔を洗って、鏡の前に座ってミリーに髪の手入れをしてもらった。
 櫛がなかなか通らない。ミリーは丁寧に櫛で梳いてくれた。
 着物はミリーに選んでもらって、ミリーに着せてもらった。
「昨日ゾージャが言っていたんだけど、『法力使い』て何なの?」
 着物を着せてもらいながら聞いてみた。
「人間の中に法力を使える人がいるんです。妖怪は彼らの法力にはかないません」
「それに私が捕まったの?」
「そうです。法力はくもの糸のように身体を締め上げてくるそうです」
 きのうより着付けが大変だった、着付けが終わると鏡の前に行った。
 鏡にはかわいいナキータが写っていた。綺麗なふわっとした着物を着て嬉しそうにわらっている。鏡が大好きになってしまう。
「ミリーあなたのセンスはすばらしいわ、これ大好き」
 演技ではなくて本気で言っていた。
「ありがとうございます」
 ミリーはナキータの着物の後ろを直している。
「今日はお医者さまの所へいきますから、記憶が戻るかもしれませんね」
 なにげなくミリーが言った。
「いえ、ゾージャは行かないと言ってたわ」
 今井は深く考えず答えた。
 ミリーはビックリしている。
「そんな、お医者さまの所へ行くべきです」
「でも、ゾージャは記憶が戻らない方がいいそうよ」
 ミリーは手を止めた。
「ゾージャ様がそんなことを・・・」
「どうしたの?」
 ミリーが黙っているので今井は振り返った。
「ナキータ様、私がお医者様の所へお連れします」
 ミリーは真剣な顔をしている、彼女は本気でナキータの事を考えてくれてるのだ。確かに本来だったら医者にいくべきだろう。しかし、医者はまずい、医者にいったらバレてしまうかもしれない。
「でも、ゾージャはこのままがいいって言っているし」
 何とか、ごまかさなくては。
「ゾージャ様にはナキータ様の記憶がない方が都合がいいんです」
 ミリーは奇妙な事を言い出した。
「どういうこと?」
 しかし、ミリーは黙っている。
「記憶がない方がいいって、どう言うこと?」
「すみません、使用人のぶんざいで言いすぎました、お二人の事に口出しすべきではありませんでした。でも、記憶がない方がいいからってお医者様に連れて行かないのはあまりにひどすぎます。許せません、私がお医者様にお連れします」
 ゾージャとナキータの間にはややこしい関係があるのかもしれない。しかし、問題は医者だ、医者には行かない事をミリーに納得させなければならない。
「私は何も分からないから、今はゾージャに頼るしかないの、だからゾージャの言う通りにするわ」
 苦しい言い訳をした。
「ゾージャ様にだまって行きましょう、わかりやしません」
 ミリーはナキータを必死で見つめている。絶対に連れて行くと決心しているようだ。
「ミリー、わたしはゾージャの妻よ、だから、ゾージャの言う通りにする」
 今井も、妻たる者にとって当然の事だと言わんばかりに言った。
 ミリーは困ったような顔をしていたがしぶしぶ引き下がった。



 着替えが済んだら食堂に向かった。廊下を進むと扉がある、昨日の壁の途中にあった扉だ。
 扉を開けると、その向こうは、ちょっとした張り出しがあるだけで下を見ると怖い。
 精神を集中して浮き上がり、そのまま宙に飛び出した。ここは上下に移動するための空間なのだ。この家にはこのような空間が何ヶ所かにある、ちょうど上下方向の廊下みたいなものだ。今井はゆっくりと下へ降りた。
 ゾージャはもう来ていた。
「おはようございます」
 笑顔で昨日の席に座った。
「眠れた?」
 ゾージャはナキータがいると嬉しそうだ。
「ええ、ぐっすり」
「その着物、かわいいな」
 彼に褒められるとなぜかうれしい。今井は袖を動かしてゾージャに見せた。
「これ、ミリーが選んでくれたの」
 今井はできるだけ愛想よく言った、ゾージャの機嫌を損ねたくない。
「それ、始めて見るな、そんなにかわいいの持っていたんだ」
「かわいいと思う?」
「おまえ、確かに変わったな、以前はケバケバしいのばかり着ていた」
「きのう着ていたようなの?」
 きのう着ていた着物はどぎつい赤で今井もあまり好きじゃなかった。
「これからはゾージャが好きなのを着るね」
 今井はかわいいナキータの演技を楽しめるようになってきた。

 食事を始めた。簡単な料理だが今まで食べたことがないようなものばかりだ。着るものといい、食べ物といい妖怪独特の文化を作り上げている。
 ゾージャは嬉しそうにナキータを見つめている。
「君は変わったなあ、まるで誰かが乗っ取っているみたいだ」
 今井はぎくりとした。言葉がつまって出てこない。でも、ここで黙ってしまったら疑われる、なにか話さなければ。
「乗っ取るなんて、そんなことがあるの?」
 必死で平静を装って、なんでもいいから話した。
「他人の身体に自分の魂を送り込むんだ、相手が弱ければ乗っ取れる」
「相手はどうなるの?」
「死ぬさ、同時に二つの魂が一つの身体には存在できない」
 思わぬ所から乗っ取りのことが分かってきた。もっと知りたい。
「元の自分はどうなるの?」
「眠ったようになる。ここが弱点なんだ。乗っ取っている間に自分の身体を殺されると、乗っ取り先の魂も死ぬ。だから自分の身体を結界に入れて絶対に安全にしてからでないと乗っ取れない」
 驚くような話しだ。乗っ取りという妖術が普通にあるんだ。じゃあ戻るにはどうするんだろう。
「乗っ取って、元の身体に戻れるの?」
「もちろん、魂を自分の身体に戻せばいい」
 なるほど、確かにそうだ。話を聞けば単純な事だ。でも、それって俺に出来ることなんだろうか? かなり危険な質問だがどうしても聞いてみたかった。
「わたし、その乗っ取りの妖術を使えるの?」
「妖怪世界で君の右に出る者はいないな、魂に関しては君はすごい妖力を持っている」
 話がトントン拍子に進む。では、これで問題解決ではないか。自分でナキータの中の自分の魂を自分の身体に戻せばいいのだ。
 ゾージャはナキータをしげしげと見つめた。
「まあ、君が乗っ取られるようなヘマをやるはずないな」
「あたりまえでしょ」
 今井は勝ち誇ったように言った。元に戻る方法がわかった。それも誰の助けも借りなくて自分で出来そうだなのだ。

 こうやって妖怪の妻としての生活がはじまった。
 数日が過ぎた。
 ここの生活ににもずいぶんと慣れてきた、ゾージャとも普通に話せるし、ナキータの演技も演技しなくてもできるようになってきた、妖怪の妻として一生を過ごしてもいいとさえ思うくらいになった。
 今井はほとんどの時間をゾージャと妖術の練習をして過ごしていた。たくさんの妖術が使えるようになった。
 その一方で、この家の雑用が発生し始めていた。
「金はここに入っているから」
 ゾージャが金庫みたいな箱を指差す。
 いきなり、金の事を言われても意味がわからない。
「お金?」
「そろそろ出入りの業者の支払いの時期なんだ。俺がいない時は君が支払ってくれ」
 なるほど、彼の妻なのだから、そういう仕事はやらなけれがならないかもしれない。
「おまえ結界の妖術は使えたよな」
 今井は結界の妖術は習っていた。ここでは鍵に相当するものが結界なのだ。家にも部屋にも結界で鍵を掛ける。そして結界は結界を張った妖怪でなくても呪文で開閉ができるようになっていた。妖力の弱い妖怪が掛けた結界は強い妖怪に破られてしまうので、強い妖怪が結界を掛けておき普通は呪文を使って開閉する。ゾージャは非常に強い妖力を持っていて、ナキータもそこそこの妖力を持っていた。これがミリーになるとかわいそうなくらい弱い妖力しか持っていない。
「まって、今思い出すから」
 たくさんの妖術を習ったから、いきなり実地試験が始まると思い出すのにちょっと時間がかかる。
 今井は練習のときにしたような小さな結界を作ってみた。
「できた」
「よし、じゃあ、この金庫の結界の呪文はxxxxxxxxだ。解いてみろ」
 ちょっと緊張する。出来なかったらまたゾージャにバカにされる。
 やってみたが、金庫の結界はびくともしない。
「違うだろう」
 ゾージャが頭を振る。出来ないとゾージャはバカにするが、数日でこれだけの妖術を覚えたのだ。そっちを評価して欲しい。
「どうやるんだっけ?」
 女はこういうときに得だ。出来なくても、むしろかわいく見える。
「こうやるの」
 ゾージャは教えてくれた。とりあえず金庫の結界は開けることができた。
 ゾージャが中からお金を取り出した。紙幣だ。妖怪の世界も人間の世界とほとんど同じみたいだ。彼は紙幣の種類を説明してくれるので今井はそれをメモに書き留めた。もうメモにはびっしり書き込んである。彼らの言葉は日本語なので文字も日本の文字だ。

 今日はゾージャは機嫌がいい。金庫の結界を掛けた所で、今井はもう一度魂を扱う妖術の話を持ち出してみた。今まで何度頼んでもゾージャは教えてくれないのだ。
「ゾージャ、お願い、魂を扱う妖術を教えてくれない?」
 ゾージャは厳しい顔になった。
「その妖術は知らない方がいい」
 困った、魂を扱う妖術が出来ないと元の身体に戻れない。
「お願い、教えて」
「魂を扱う妖術で何をするつもりだ」
「私の魂を扱う妖力は強力なんでしょ。それなのに扱えないのは納得できなくて」
 毎回違う口実を言っているのだが。
「あれは、人間の魂を食べる以外に使い道がない、知らなくていい」
「絶対に、人間の魂は食べないって約束する」
 ゾージャは怖い顔でナキータを見た。
「だめだ」
「もし食べたら私を殺していい」
 絶対の決意を言ったつもりだったが。
「なに、アホなこと言ってる。俺がお前を殺せるはずないだろう」
 困った、このぶんだと魂を扱う妖術は絶対に教えてくれそうにない。それが分からないと元の身体にもどれない。まだ当分ここにいなければならないのか。




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