妖怪ナキータ
今井は名もない古びたお寺や寺院をめぐるのが好きだった。
今日も車をあてもなく走らせていた。
山あいの細い道を進むと、古い鳥居が見えてきた、鎮守があるのだろう。
今井は車を駐め、鳥居につながる古い石段を登っていった。
天気はよく風が気持ちいい、石段を登りきると古い古い祠があった、苔むしていて、かなり痛んでいるが奇麗に掃除されている。
今井はこんな場所が大好きだった。
三方を山に囲まれていて、急な崖の途中に作られたような祠だ。
横に岩が置いてあって、岩の正面には『封印』と真っ黒な太い文字で書いてあった。
「なんだろう」
そう思って触ってみた、ちょうど『封印』の文字が隠れてしまう場所を触ってしまった。
岩がぐらっと動いた、動くような岩ではないのに。
一瞬びっくりしたが、それ以上は動かない、岩の下に穴が空いている。
今井はその穴を覗き込んだ。
手が出てきて、今井の手をつかんだ。
今井は悲鳴をあげ、必死に手を振り切ろうとした、しかし、手はすごい力で今井をつかんで離さない。
穴の中には女がいて、彼女は今井の手をつかんだまま穴から出てきた。赤い不思議な着物のようなものを着ている。
今井は必死で逃げようとしたが逃げられない。
「私は妖怪なの、悪いけど魂をもらうね」
女がにらむと、自分の口から霧のようなものが出てきた、それが、女の口へ入っていく。
意識が薄くなってきた。体の感覚がなくなって体が宙に浮いたような感じだ。目も見えない。
必死に抵抗した。どこかに吸い込まれていく。吸い込まれてなるものかとがんばった。
「おとなしくしろ」
どこかで女の声がする。
おとなしくなんかできるか
意識が吸い込まれそうな感じがするのを、必死でこらえた。
「おとなしくしろと言うに」
女の声
体の感覚がなく目も見えない、意識が薄くなりそうなのを必死でこらえる。
「いかん、こちらがもたん。おまえ法力を持っているのか」
女の声
今井は必死でがんばった。
「いかん、いかん、私が死んでしまう」
女は今井の抵抗で困っているらしい、今井は有らん限りの力で抵抗した。
徐々に、吸い込む力が弱くなった。
「やめろ、やめてくれ。殺さないでくれ」
女の声は悲鳴に近くなった。
しかし、今井はありったけの意識を集中して頑張る。
「ぎゃー」
女が悲鳴をあげた。
不意に体の感覚が戻ってきた。
目が見える。が、見えたものは足元に倒れている自分だった。
「俺が、倒れている?」
今井は自分の手を見た。白くて細い手が赤くて長い袖から伸びている。身体を見た、何枚も布を重ねたような奇妙な着物を着ている、赤くてケバケバしい模様が目立つ。さっきの穴の中から出てきた女が着ていたものだ。顔を触ってみる、長い髪が手に触った、長い髪が肩にかかっているのが見える。
自分がさっきの女になってしまった。
これは何なんだろう、あの女の身体を乗っ取ってしまったのか、じゃあ、あの女はどうなったんだろう。さっき聞こえてきた女の声からすると女は死んだのか。
女が出てきた穴を見た、穴の上に大きな岩があって『封印』と真っ黒な文字で書かれているが、その文字の真ん中、さっき今井が手を置いた部分が消えて元の岩肌が見えている。
さっきあの女は自分の事を妖怪と言った。あの女は妖怪なのか。その妖怪がこの穴に封印されていて、それを自分が破ってしまったのだろうか。
ふと、足元に自分が横たわっているのが目に入った。
そう、自分はどうなったんだろう。あわてて、自分の横にしゃがみ込むと自分の顔を触ってみた。息をしている。
「よかった」
眠っているみたいな感じだ。でも、眠っているわけではなくて、自分はいまここにいる。目を覚まさしてみようと、揺すったりたたいたりしたが無駄だった。そうだろう、自分は今ここにいるんだから、これで目をさましたら、それはそれで恐ろしい。
身体をねじったような形で倒れているので、まっすぐに伸ばして仰向けに寝せた。自分で自分を介抱するのは変な感じだ。
乗り移っているのなら、自分の身体に戻らなければならない、でもどうやって。
それに、自分の身体をどうするか、やはり病院に行くしかないように思えた。
今井は自分の身体から携帯電話を取り出して救急車を呼んだ。
ふと思い立って、自分の身体から財布とかキーとか必要な物を全部取り出した。このままの状態が続くのなら、この女の身体で生活しなければならないかもしれない、そのときに必要になる。
救急車が来るまで今井は自分の身体の横に座ってじっと待っていた。
何気なく顔を触ってみた。痩せた感じの顔だ。俺はどんな顔をしているんだろう、さっき妖怪に襲われた時は顔など見ていなかった。車にミラーが付いているのを思い出して車のところへ行った。
ミラーで自分の顔を覗いてみると、そこにはすごい美人が写っていた。整ったほっそりした顔はものすごくかわいい、妖艶な感じでうっとりと見とれてしまう。自分がこんなにかわいいなんて嬉しくなる。いつまで見ていても飽きない。
ただ、着ているものはちょっとひどかった、着物に似ているがふんわりと広がっておりスカートのような感じだ。色は薄い赤でその上にどぎつい真っ赤で大きな柄がある。
救急車が来た。
今井はすべて本当の事を説明したが、救急隊員は怒り出してしまった。
「あのねえ、彼がなぜ倒れたか教えてもらえませんかねえ」
まったく、今井の言う事を信じない。
「本当の事です。私がこの女に乗り移ったんです」
救急隊員は頭をかいている。この女は少し変だと思ったのだろう。
「ともかく病院へ運びましょう」
彼らは今井の身体を担架に載せると救急車に運んだ。
「搬入先の病院はこちらに電話してもらえばわかります」
救急隊員は今井に連絡先を説明すると、さっさと行ってしまった。
救急車が行ってしまうとあたりは元の静けさを取り戻した。
これから、どうなるのかまったく分からなかった。この身体のままで暮らさなきゃならないのか、元の戻る方法があるのか。
さっきの『封印』の岩の所に行って妖怪女が入っていた穴の中に入ってみた。中は狭くて人が立てないくらいの高さで畳1枚くらいの広さだ。紙屑みたいなものが散らばっているがこれといって何もない。
今井は穴から出て付近をふらふらと歩いてみたが何もなかった。
途方に暮れて階段に座っていた。そろそろ日が暮れてくるし、このまま家に帰るしかなさそうだった。
「ナキータ」
不意に空から声がした。声がする方を見上げると何か浮かんでいる、人の形に見えた。
その人の形の物はぐんぐん今井の方へ降りてくる。そして、あっと言う間に今井の前に降り立った。
それは人間だった。背が高くがっしりした男で、これまた不思議な着物のような物を着ている。
もう何があっても驚かないが、やはりビックリして数歩下がった。
「ナキータ、封印を破ったのか」
彼は嬉しそうに今井の肩を掴む。
「よかった」
彼は今井をグッと引き寄せた、今井はこの男に抱かれたしまった。あまりに思いがけない出来事に逃げる事さえ思いつかなかった。
「君が封印されてから、毎日来てたんだ」
彼はこの妖怪女の知り合いなのか、ナキータと呼んでいるからこの妖怪女の名前はナキータらしい。彼はいとおしそうにナキータの髪をなる。そしてじっとナキータの目を見つめていた。彼の顔が近づいてきて、キスされてしまった。
今井はすくんでしまって動くことすらできなかった。ナキータの目に恐怖の色を見つけ、男の顔が変わった。
「どうしたんだ?」
自分はこの妖怪女ではない事を説明しなければ。そう、思ったが、恐ろしい考えが頭に浮かんだ。ナキータは死んだのだ。その事をこの男に説明したらどうなるだろう。確実に殺される。今井は恐怖で何も言えなかった。
「どうしたんだよ、俺だよ」
彼はナキータの手を持った。
「俺のこと、覚えていないのか?」
今井は思わずうなづいた。
「覚えていない、わすれたのか?」
もう一度うなづく。これがいい、記憶を失ったことにしよう。
「何を覚えている?」
「何も思い出せない」
今井は小さな声で言った。
「記憶をなくしたのか」
彼はびっくりしたように今井の目を見ている。
「俺の事とか、家の事とか何か覚えているか?」
「なにも覚えていない」
今井はやっと答えた。
彼はナキータの髪をなでた。
「そうだよな、3年間も封じ込められていたんだもんな、辛かったよな。もう大丈夫だ、俺がついてる、何も心配しなくていい」
彼の目はうるんでいた。よほどナキータが好きなのだ。
「閉じ込められている間に、記憶をなくしたんだ。辛い生活だったんだな」
彼はナキータを抱きしめた。
「さあ、帰ろう」
彼はナキータの手をつかんで飛ぼうとした。手を引っ張られて、今井は少し浮き上がったが手がすべってどすんと落ちてひっくり返った。
彼はあわてて、ナキータの横に降りてきた。
「どうして飛ばないんだよ」
「私、飛べるんですか?」
「そうか、飛び方も覚えていないのか」
彼はナキータを軽々と抱き上げ、そしてそのまま飛び上がった。どんどん高く登っていく、怖いので思わず彼にしがみついてしまった。ナキータが彼に抱きついているので、彼はうれしそうだ。どんどん飛んでいく。この妖怪男にどこかに連れて行かれる。彼が行ってしまうまでの辛抱と思っていたが、とんでもないことになってしまった。
「君に会いたかった、毎日、君の所に行っていたんだよ」
男はしゃべりはじめたが風の音でよく聞こえないから返事しなくても不自然ではなかった。
この男も妖怪なのか、どこへ連れていくつもりなのだろう。今井は元の身体に戻るどころか逃げることもできないような所へ連れていかれつつあった。